① 濵野千寿瑛
マネージャーになりたい
そう思い始めたのはいつだっただろうか。もうよく覚えてないくらい昔から、私はマネージャーになりたかった。小さい頃から音楽しかやってこなかった私は、”運動部の絆”に憧れがあった。つらい練習を一緒に乗り越えた先の一体感が羨ましかった。私は運動ができないけど、マネージャーなら運動部に入れる、そう気付いていつか絶対マネージャーになろうと心に決めていた。
大学に入学し、一緒に新歓に行く友達もいなくて校内をウロウロしていた私に声をかけてくれたのは、当時4年生と3年生の先輩だった。ハンド部に入部を決めたのはマネージャーの先輩、ゆまさんとゆいさんが美人で綺麗で可愛くて、優しく話してくださったからというのが本音だ。
体育会に入る、と言うと両親、主に母には心配された。長野の田舎でのんびり育った人が、生まれた時から都会暮らしのエリート内部生たちに馴染めるのか、と。母の予想は正しかった。正直、価値観が合わないなあと思うことばかりで戸惑うことも多かった。それでも先輩方には、ご飯に連れて行っていただいたり、些細なことも気遣ってくださったりと、本当に優しくしてもらった。
私が一年の縦割り班でのご飯では、何か食べたいものある?と聞かれ、冗談で「回らないお寿司が食べてみたいです♡」と言うと本当に実現した。都会人ってすごい。
昨年の早慶戦後、とうとう大好きな先輩方がいなくなってしまい、私は絶望感しかなかった。同じ思いを持っている人がもう1人いた。早慶戦の次の日、私はそんな絶望を抱えてる人、副将の松野と話した。彼は同じく絶望感を持っていたが、もう次の代、つまり私たちの代でいかに勝つかを考えていた。こんなにハンドボールが好きで、勝ちたくて頑張ってる人がいるなら、マネージャーである私が諦めてしまってはダメだ。選手の努力を一番近くで見せてもらっている私だけは、どんな試合も勝てると信じていよう。そう決心した。
この4年間、なんやかんや色々あったけど、振り返って思い出すのは、楽しかった思い出や嬉しかった言葉ばかりだ。
田園都市線の会でBBQをしたこと。初めての豊橋遠征。マネージャー3人で海に行ったこと。秋野のデートの下見に付き合わされたこと。インカレの舞台に連れて行ってもらえたこと。選手たちが私が撮った写真をアイコンにしてくれていること。テーピングを信頼してると言ってくれた後輩。
私の大学生活はハンド部一色だった。
もう間近に迫った引退を前に、寂しさや心残りは感じていない。この1年間の集大成である早慶戦で、選手が目一杯プレーしている姿を見れるのが楽しみで仕方がない。その姿を一番近い所で応援させてもらえるだけで、私がハンドボール部で過ごした4年間は意味があったのだろう。
ブログ読んでくださり、ありがとうございました。
明日は同じくマネージャーの、井上碧です。不仲説が囁かれて早4年、別に不仲じゃないです。本当に。みどとは人との接しかたの距離感みたいなものが似ていて過ごしやすかったです。4年間ありがとね。
それでは明日も楽しみにしていてください。