4年生引退ブログリレー

⑥加藤 優祐

尾嵜からバトンを受け取った加藤です。

前日のブログで尾嵜が他己紹介をしていたのですが彼の分はないので僕がしておこうと思います。

尾嵜光太

ただ顔がいい男。ハンド部1のゴシップ好きで、他人の痛いところをついてくるクラッシャー。クールぶっていて告白はLINEでするがハンドボールに対しては意外と熱いところもあり、常に体を犠牲にしている。ここに来てこの同期で良かったなどと人情味を見せてきており持ち前のずるさを発揮してきたが、まあ憎めない奴である。現在自分と共に体重が増加しており引退後ポンタにならないか心配だ、、

尾嵜の話はこれくらいにしておいて、本題に入ろうと思います。

いきなりだが、私はハンドボールを辞めたいと思ったことは一度もない。もちろんきつい練習やうまくいかないこと、怪我もあった。それでもなぜ辞めたいと思わなかったか。それはハンドボールが好きであるということ、そして一緒にやるメンバー、特に同期に恵まれているからだと感じている。そしてその環境を与えてくれたのが慶應ハンドボール部だ。

このブログではそんな慶應ハンドボール部での思い出を少し書いていこうと思います。

私は人生の夏休みと言われることもある大学生活の中で何も迷うことなくハンドボール部に入部した。中高の先輩の誘いで大学入学前に体験入部に行き、ここなら上手くなれると思ったこと、またかっこいい人が多かったのが入部の理由である。特に180cm超え超絶イケメンの山品さんの姿は覚えており、こんな人が慶應で活躍するんだろうなあと感じたのを覚えている。ちなみにその日、当時1年生の先輩にご飯を連れて行ってもらったのだが、これを入部後先輩に話しても誰1人覚えてはいなかった。

1年生の頃といえば、雑用。同期でいち早く入部した玉嶋と働いていた。遅く入ってきたやつにはめちゃくちゃ雑用をやらせたかったのを覚えている。特に1番遅くに入った常久が毎回バランスボールだけ両手で抱えてきたときはみんなで「なんなん」て、思っていたのが今でも鮮明だ。かといって雑用が完璧なわけでもなく1週間に1回くらいのペースで走っていました。玉嶋が1日に5本くらい走って可哀想だったこと、尾嵜が怪我やら理工の授業やらで上手く罰ランをかわしてキレそうになったことも今では笑い話です。普通に今走って欲しい。スポッチャでオールしてからディズニーまで歩いてコーヒカップで酔いまくったのは良い思い出だ。若い。

2年生はやっと怖い先輩に絡めるようになった時期。サイドに転向して悩んでいた時に話を聞いてくださった主将の清修さん、オンもオフも絡んでくれた稜さんにはめちゃくちゃ感謝している。この2年生の時期が自分の慶應ハンドボールの原点だと感じている。この話は早慶戦パンフレットの文章で書いているので気になった方は見てみてください。ちなみにこの時期から先輩に連れられ麻雀にはまり同期の玉嶋、先輩たちとよく打っていました。後輩の育成はサボっていましたが、最近になってようやく後輩がハマってくれて嬉しいです。彼女がいる人ははまりすぎないように。

3年生はいろんなことを経験することができた年だ。2部リーグでの優勝や自身初の全国インカレに出られたこと。自分がこのチームにこの時期にいることができたからこそ経験できたことだ。1個上の代は自分たちの代になってからも練習に来てくれる方が多く、癖は強いが優しい先輩たちだ。是非早慶戦で自分たちの成長を見て欲しいと思う。ちなみにこの年の初詣は同期の松野と行ったのだが、その時に松野が好きだった子と話している姿をなぜか深く覚えている。

4年生はついに自分たちの代。主将は全員一致で秋野と言ったのを覚えている。推薦メンバーは1人もおらず、これでやっていけるのか不安はあったが「やるしかないから」である。同期で一緒に試合出て戦えることはとても嬉しかった。マネとプレーヤーのモチベの違いとかもあったけど今はそこを乗り越えることができたと勝手に思っています。彼女たちのためにもプレーヤー6人は最後早慶戦で表現しよう。

まあ何が言いたいかと言うと、自分はこのチームがこの同期がめちゃくちゃ好きで、このチームで勝ちたいということ。最後みんなでかまそう。驚くことにまだ同期全員で揃ったことが部活以外ないので最後は同期全員で集まって思い出に浸りたいと思っています。

最後にどうでも良いですが、最近名字じゃなくて名前で呼び合う後輩たちの関係が羨ましいです。

明日のブログは玉嶋文彦です。玉嶋はハンド部のお父さんで多くは語らないけど、優しいやつです。そんな彼の思い時考えていることを覗くのが自分も楽しみです。

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