慶應義塾体育会ハンドボール部は現在、大学男子部、大学女子部、高校に分かれて活動している。ここでは80年以上に及ぶ歴史を、活動主体ごとに紹介する。

男子部

慶應義塾送球倶楽部発会

慶應義塾送球倶楽部は、日本陸連平沼亮三会長そして体育会日吉支部酒井将主任の勧めにより、初代主将となる外山准二が中心となって、日本初の大学ハンドボール部として創立された。1937年9月10日に創立総会を開催し、翌1938年1月29日に発会式を挙行した。

当時の部員は、外山自身がラグビーを行っていたことでもわかるようにさまざまな球技の経験者の寄せ集めであった。初代部長は大学予科の松本良三教授が就任した。本塾ハンドボール部の創立に続いて各大学においても創立されていった。そして、1938年には日本送球協会が創立された。

幻の東京オリンピック代表候補合宿

1938年2月の日本送球(ハンドボール)協会の発足に伴い、1941年に開催が予定されていた東京オリンピックの代表候補選手の合宿が3月15日から3月19日まで日吉で行われた。塾から6名が選出され参加した。1941年の東京オリンピックは第2次世界大戦の影響でその後中止となり、ここにいる代表候補選手は幻の代表選手となった。

1942年 関東春季リーグ戦優勝

1942年関東春季リーグ優勝時のメンバー

塾は1941年春から1942年春まで3連覇をとげ、さらに1943年春にも優勝をした。この後、塾の関東学生リーグにおける優勝は42年後の1985年になる。

戦中・戦後中断の慶早定期戦が復活

慶早定期戦は戦中・戦後の中断をはさんで、1953年に復活第1回(第6回)が開催された。1958年から国立競技場でナイターとして行われるようになり、秋のシーズンの幕開けの試合として定着していくこととなる。試合は10対7で本塾が勝利し、第2回大会以降5連勝を飾った。

1959年 全日本学生選手権初参加

全日本学生選手権は、前年の1958年から開始されたが、本塾は第2回大会より参加をした。第2回大会は、7月1日から5日まで西宮で開催された。

第1回慶早明室内定期戦

この頃、ハンドボールは11人制で屋外のスポーツであったが、7人制が冬期のシーズンオフを利用して室内で行われ始めていた。慶-早-明は室内7人制の定期戦をこの年から開始した。

1985年 42年ぶりに秋季リーグ戦優勝

1985年(昭和60年)関東学生秋季リーグ戦において塾ハンドボール部は1943年(昭和18年)以来42年ぶりに優勝をした。戦績:6勝1敗

これを祝して帝国ホテルにおいて優勝祝賀会を開催した。この年は、関東リーグ春3位、秋優勝、早慶戦、対京都大学、対甲南大学各定期戦に勝利するという輝かしい戦績を残した。

1987年 創部50周年を迎える

1937年の創部以来半世紀を経過し、50周年記念祝賀会を帝国ホテルにおいて開催した。早・明・京大をはじめとする関係大学、塾関係者・塾高生を含む現役選手およびOBと数多くの関係者が参集し、盛大に挙行した。周年事業は、20周年、40周年に続いて行われ、記念誌も40周年に引き続き発行した。

2021年 20年ぶりにインカレに出場

 新型コロナウイルス感染症に見舞われ、リーグ戦は2年連続の無観客開催となった2021年、20年ぶりのインカレ出場を果たす。秋リーグでは33年ぶりの2部リーグ優勝を果たし、1部との入れ替え戦に出場(24-27で順天堂大学に惜敗)したチームで関西学院大学と対戦した。結果は30-33で敗戦し、初戦敗退となったがリモートで観戦した多くの関係者が活躍に熱い声援を送った。

女子部

女子部の発足 

2000年(平成12年)8月頃より、当時の1年生寺田(2002年~3年主将)が中心となり、女子ハンドボール部設立の活動を始めた。参加したメンバーを部結成まで持っていくため、士気を高く持ち続けることに苦心し、メンバーが8名そろった2002年3月1日に三田ハンドボール倶楽部の承認に基づき体育会に加盟申請を行い、4月1日に慶應義塾体育会ハンドボール部女子部として正式に発足した。

2004年 第1回女子慶早定期戦

時期を同じくして2004年に早稲田大学にも女子ハンドボール部が設立された。この年記念すべき第1回早慶定期戦を開催し、19-10と勝利した。この勝利により、塾長招待会に招かれ出席した。

女子部存続の危機

創部数年すると部員集めに苦慮した期間が続いた。2011年、横田、毎原、木本、木原を女子部10期生として送り出したのちに、ついに部員が3年生の加藤1名になり部存続の危機に直面した。しかし加藤やスタッフの懸命な勧誘活動により経験者も含めた6名が入部し、存続の危機を乗り越え女子部創部10周年を迎えた。

2部上位を目指して 

2015年12月、家村が女子部OGから初めて監督に就任し、コーチ陣も含めOGのみの体制がスタートした。新体制のもと2017年春2部Bリーグで優勝しAリーグ昇格を決めるも、実力及ばず1シーズンで降格となった。再昇格をかけた2018年春リーグ、首位の明星大との逆転優勝には最終戦で得点差38以上の勝利が絶対条件となる中、横浜市立大学に60分間オールコートマンツーを仕掛け見事58-20で勝利をもぎ取った。

塾高

塾高ハンドボール部創部

塾高ハンドボール部は1949年に創部された。そして、1950年、塾高に田中明先生が赴任してこられた。以来、1994年に退職されるまで、高校・大学を問わず我々ハンドボール部員は筆舌では表せないほどのご指導を頂いた。

初のインターハイ出場

1971年度、初のインターハイ出場を果たす。

積み重なる歴史

1999年に創部50周年を迎え、この年11月にOBと現役が集合し、田中先生、小林先生を囲んで盛大なパーティーが開催された。

また、2008年には高校ハンドボール界では類を見ない第50回となる早慶定期戦が行われた。「ハンドボールを通じて心身を鍛え、充実した高校生活を送り、良き友を得ることのできる手掛かりとなって欲しい」(記念誌内 小林先生のお言葉より)

塾高ハンドボール部のさらなる発展を祈念するものである。

50周年記念祝賀会

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